説教題:「主イエスの十字架のみを誇る」(ガラテヤ書 連続講解 第17回)

旧約聖書:エレミヤ書 4章1~2節
新約聖書:ガラテヤの信徒への手紙 6章11~18節
説教題:「主イエスの十字架のみを誇る」(ガラテヤ書 連続講解 第17回)
讃美歌(説教後):讃美歌 21-297番
(説教者:武田英夫牧師)

今日の御言葉は「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません」と告げます。わたしたちにはこの世の中にあって、誇りたいものが多くあります。自分が達成した成果を、そのために大変苦労し、努力したことと共に、他の人たちに認めてもらいたいのが、ごく一般的な私たちです。

しかし、そのような、あの事この事にもまして、主イエスの十字架ははるかに素晴らしいのです。従って、私たちが誇りたいこの世の中のあれこれは「この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです」と述べて、あらゆることが誇りではなくなると言います。これと同じ趣旨はフィリピの信徒への手紙3章8節にも「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失と見ています」と述べられています。

パウロが6章11節に、このガラテヤの信徒への手紙を終えるに当たって「この通り、私は今こんなに大きな字で、自分の手であなたがたに書いています」と述べているのは、このガラテヤ書6章10節までのことの総まとめとしての強調なのです。ガラテヤの信徒への手紙での中心課題は「割礼」でしたが、パウロが「割礼の有無は問題ではなく、大切なのは新しく創造されることです」と述べているように、聖霊に導かれて洗礼を受けた人は、新しく信仰者としての命を与えられ、聖霊に導かれた人生を歩む者とされているのです。感謝しましょう。